同じことを言われても、すぐに納得できるときとそうでないときがあります。相性というものは存在しているかと思いますが、それ以上に「この人に言われたらやるしかない!」というような人が仕事でもプライベートでも周囲にいないでしょうか? 個人的な体験から言えば、そのように思わされてしまう人は、自分が気がついていない大所高所からものをみて発言していたり、損得抜きで上位の正義(?)の観点から発言しているような気がします。そして、そのことを自分自身が日々実践しているということ。全く同じようなことを言われても、心に響くことも響かないこともあるのは、発信者のこころの在り方や日々の行動によるところが大きいのかなと感じます。
日々そうした心持ちで考え、実際に行動を重ねている方に出会うと、その人が発する雰囲気というか、オーラというか、目に見えない部分に蓄積された思いのエネルギーが伝わってきて、それが自分と同じ方向性のものである場合、とても共感を覚えたり、潜在意識に沈んでいたものを再発見させてくれたりします。特にそれが言葉として、直接耳に聞こえる形で伝えられて共感したときや感動したときなど、実際に身体がしびれる感じがすることがありませんか? 実際「しびれた~!」という表現もあるとおり、こころが動かされたときは、身体の細胞が本当に振動していて、それが「しびれたー」という脳の感覚に繋がっているのかもしれない、というようなことを時々考えたりします。
というのも、音叉ヒーリングを使った施術でも、からだの細胞が、ざわざわと波立つというか、音叉の振動に身体が共鳴して、ぐるぐる、むくむく、どきどき(?)とうごめく感覚を覚えることがあり、「音叉ヒーリングも人の発することばも振動だから、体が反応しても不思議じゃないよね。」と思ったりします。
腑に落ちるという表現があります。頭でだけ理解していたことが、腹に落ちて納得できたということだと思いますが、こうした表現があることからも、人は脳で全てを判断しているのではなくて、最終的には身体全体で判断して行動に移すというプロセスを踏んでいるような気がします。このプロセスを経ずに頭だけで判断して行動しないといけない場合は、「やらされ感」というか、義務や強制力で行動させられている状況が多いですよね、会社の仕事とか。また、心臓の近くに「心臓脳」というものが存在するという話を聞いたことがあります。頭の脳ではなく、心臓の近くに小さな脳があり、こちらのほうが、性格とかその人の好みとかを司っているという説です。たしか、心臓移植を受けた人の性格や食べ物の好みが、心臓を提供した人とそっくりになってしまったというドキュメンタリー映画もありましたね。
ヒトの身体の60%~70%は水分でできていると言われていますが、この水分が何かの振動に共鳴すると、きれいな幾何学模様を描くという学術的な報告があります。ウォーターサウンドイメージという本にその概要が記載されていますが、様々な周波数を聞かせた水が、それぞれ特徴的な幾何学模様を波打つ形で表出することが、科学的な実験結果としてカラー写真で紹介されています。見ているだけでも癒される写真ですので、興味のある方は、一度お読みになってみてはいかがでしょうか? 個人的にお薦めです。