週末に法事があり、新潟県と富山県の県境にある宇奈月温泉へ行ってきました。紅葉の名所ということでしたが、10月初旬に新潟で観測史上最高の36度を記録したこともあり、今年は、まだ青々とした緑が一面に広がっている状況で少し残念でした。しかしそれでも、ふだんあまり感じる機会がない自然の息吹みたいなものを感じることができてとても良かったです。
法事は叔父の3回忌でしたが、住職がお経をあげること1時間。「長かったですね~」と親族が口々に言っていましたが、私は、お経を聞いていると音叉でサウンドヒーリングを受けている時と似た状態になって、頭の上の空間がぐるぐる回り出す時があるので、今回もそれがいつ起きるのか、少しワクワクしながらお経を聞いていたので、あまり長くは感じなかったのですが、今回は、あまりぐるぐる回る感覚が生じず、こちらも少し残念。法事の場で全く関係ないことを考えていたりして、ちょっと不謹慎ですね。。。
サウンドヒーリングの施術もそうですが、同じ音叉を同じ手順で施術をしても、感じ方はその時々によって異なることが普通です。施術をする人と受ける人の体調の良し悪しや、施術する場所の状態、また、どういう気持ちで施術をするか、受けるかによっても変わってくるのだと思います。同じものを食べても、体調によっておいしく感じたり、おいしくなかったりというのと似ているかもしれません。
ところで、住職がお経をあげた後に法話がありますよね。今回も色々お話がありましたが、普段は、宗教というと胡散臭そうな目で見る人がほとんどですが、身内のお葬式や法事などの機会には、みんな真剣に法話を聞いている(ようにみえる)のは、なんだか不思議です。法話だけで10分くらいはあったかと思いますが、いまもすぐに思い出せるのは、「ご先祖様のひとりでも欠けて存在していなかったら、今、この場に、あなたは存在していなかったのですよ。だから、少なくともこういう機会にご先祖様に想いを馳せ、感謝の意を捧げることが、人として正しい、あるべき姿だとは思いませんか?」というようなお話です。
これは、個人的にはとても共感でき、折に触れて感謝しているつもりでしたが、やっぱり、ご先祖様のお陰で「存在させて頂けている」ということからすれば、感謝が足りなかったかな、と思った次第。なにはともあれ、感謝すると気持ちいいですし、感謝して悪いことは何もないと思うので、できるだけ、何に対しても感謝のこころを忘れずに、日々の生活を送りたいものです。